夜、スマホの画面が緑色に染まっている。ある銘柄が連日のように上げ続けている。SNSのタイムラインには「まだ間に合う」という声が流れ、自分だけが取り残されていく感覚が胸を締めつける。今買わなければ。指が「買付」のボタンに伸びる——。

この焦りを、私たちは何度経験してきただろう。そして、その多くがどんな結末を迎えたかも、心のどこかでは知っている。

ここで一人の老人の言葉を思い出したい。「最後の相場師」と呼ばれた是川銀蔵(これかわ ぎんぞう)。彼が遺した投資の知恵は、まさにこの「飛び乗りたくなる夜」のためにあるのではないか。

是川銀蔵の投資五カ条とは何を語っているのか

是川銀蔵の投資五カ条は、銘柄選びから心構えまでを貫く「自分で考え、待つ」という一本の思想である。媒体によって文言の揺れはあるが、自伝『相場師一代』に近い形で整理すると、おおむね次のようになる。

一、銘柄は人が奨めるものではなく、自分で勉強して選ぶ 二、二、三年先の経済の変化を自分で予測し、大局観を持つ 三、株価には妥当な水準がある。値上がり株の深追いは禁物 四、株価は最終的に業績で決まる。腕力で動かす相場は敬遠する 五、不測の事態などリスクはつきものと心得る

読み返してみてほしい。ここには「儲かる銘柄」も「必勝法」も書かれていない。書かれているのは、徹頭徹尾、人間の態度についてである。

誰かに教わった話に乗らない。先を読む。高くなったものを追わない。業績という事実に立ち返る。そして、何が起きても不思議はないと腹をくくる。——投資の技術ではなく、投資する人間のあり方。是川が一生をかけて辿り着いたのは、そこだったのではないか。

カメ三則が説く「遅さ」の価値とは

カメ三則は、亀のように地味で遅い歩みこそが相場で生き残る道だと説く教えである。是川自身の言葉として伝わる三則は、こう整理されることが多い。

一、よく調べて、水面下にある優良な銘柄を二合目・三合目で買う 二、上がるまで、じっと待つ 三、過大な思惑をせず、手持ちの資金で行動する

なぜ亀なのか。ウサギではなく。

俊敏に動き回り、上がる株から上がる株へと飛び移る——そういう投資家を、私たちは羨ましく眺める。だが是川が選んだのは、その逆だった。一度仕込んだら動かない。世間が騒ぎ出すまで、ただ待つ。手持ちの資金以上には決して手を伸ばさない。

この「遅さ」は、能力の不足から来るものではない。むしろ、自分の感情を相場から切り離すための、意図された遅さなのだ。速く動こうとするほど、人は群衆の興奮に飲み込まれていく。亀の歩みとは、その渦から距離を取るための技術なのである。

ちなみに、こうした「逆を行く」生き残り方は是川だけのものではない。順張りという真逆のスタイルで巨万の富を築いた人物もいる。両者の違いについてはcisの名言に学ぶ順張りという生き残り方でも触れているが、興味深いのは、流派が正反対でも「自分の型を貫き、群衆に流されない」という一点で深く通じ合っていることだ。

「最後の相場師」是川銀蔵はどんな人間だったのか

是川銀蔵は、独学と独自研究だけを武器に巨富を築いた、稀有な相場師である。

1897年に生まれ、1992年に没するまで、彼の人生は波乱そのものだった。事業の成功と破綻、無一文からの再起。やがて彼は相場の世界で、住友金属鉱山をはじめとする数々の取引に挑み、「最後の相場師」と呼ばれるまでになる。

ここで注目したいのは、彼の財の築き方だ。是川は内部情報や人脈で勝ったのではない。図書館に通い、統計を読み、鉱山の埋蔵量を自分の足で確かめにいくような、徹底した一次調査の人だった。「自分だけの情報を集め、二合目、三合目で買い、じっと待つ」——これは彼の手法を凝縮した一節として知られている。

自分「だけ」の情報。この言葉は重い。誰かのSNS投稿でも、証券会社のレポートでもない。自分の足と頭で集めた、誰も知らない事実。そこにこそ優位がある、と是川は信じていた。

興味深いのは、晩年に書かれた自伝『相場師一代』が、決して景気のいい武勇伝ではないことだ。彼はむしろ「株で成功することは不可能に近い」という現実を伝えるために筆を執ったとされる。一代で財を成した人間が、最後にそう書き残す。——この謙虚さこそ、五カ条の五番目「リスクはつきもの」と静かに響き合っているように思える。

「二合目三合目で買い、じっと待つ」を今の相場でどう読むか

「二合目三合目で買う」とは、まだ誰も山に登っていない、安い登り口で仕込むということだ。

山にたとえてみよう。八合目、九合目——つまり高値圏には、すでに大勢の登山者がひしめいている。みんなが「もうすぐ頂上だ」と興奮している。だが、その先に待つのは下りだけだ。一方、二合目や三合目は、まだ人もまばらで、景色も地味で、誰も注目していない。

冒頭の「緑色に染まった画面」を思い出してほしい。連日上げ続け、SNSが盛り上がっている銘柄。それは、もう何合目に来ているのだろうか。是川なら、おそらくその山には登らない。彼が探すのは、世間がまだ見向きもしない、別の登り口なのだ。

具体的に考えてみよう。ある優良企業の株価が、市場全体の不安から下げ、誰も買いたがらない水準まで来たとする。業績はしっかりしているのに、人気がないから安い。ここが二合目三合目だ。買って、あとは「上がるまでじっと待つ」。待つあいだ、株価は下にも振れるだろう。だが手持ち資金の範囲でしか買っていないから、夜は眠れる。

そう、ここが核心ではないか。なぜ亀は待てるのか。手持ち資金しか使っていないからだ。借金で買っていれば、含み損に耐えられず、いちばん安いところで投げてしまう。「手持ち資金で行動する」という三則目は、精神論ではなく、待つための土台なのである。

ちなみに、こうした「群衆と逆を行く態度」の根っこには、ある種の倫理観がある。短期の人気に乗って他人を出し抜くのではなく、自分が納得した価値に賭ける。この姿勢はテンプルトンの名言「倫理観こそ投資成功の基礎」が説く世界とも、不思議と重なってくる。

新NISA世代は是川の教えをどう受け取るべきか

新NISAで投資を始めた世代にとって、是川の教えは「手法」ではなく「心の処方箋」として効いてくる。

正直に言えば、五カ条やカメ三則は、個別銘柄を自分で発掘して仕込む人のための教えだ。毎月コツコツとインデックスファンドを積み立てる人に、そのまま当てはまるわけではない。ここは誤解しないほうがいい。

では、積立投資家には無縁の話なのか。——いや、そうではないと思う。

たとえば、市場が急落して、積立を止めたくなる夜。「みんな売っているのに、自分だけ買い続けて大丈夫か」という不安。あの「待てない」気持ちこそ、是川が一生をかけて闘った相手なのだ。「上がるまで、じっと待つ」というカメ三則の二番目は、形を変えれば「下げ相場でも積立をじっと続ける」という、まさに新NISA世代の課題そのものになる。

「人気に惑わされず、自分で考える」も同じだ。SNSで話題の銘柄に枠を使ってしまいそうになるとき。「手持ち資金で無理をしない」が、生活防衛資金を削ってまで投資に回す危うさを思い出させてくれる。是川の言葉は、新しい器(NISA)に注がれても、その本質を失わない。

📌 制度情報(確認推奨): NISAは税制上の優遇制度であり、NISA口座でも元本割れのリスクは変わりません。最新の制度内容は金融庁や証券会社の公式サイトでご確認ください。

なお、是川のような日本の相場師から世界の賢人まで、投資名言を心理戦略として体系的にまとめたものは投資名言から学ぶ心理戦略|世界の賢人に学ぶ投資の知恵にある。点として覚えた言葉を、線でつないで理解したいときに役立つはずだ。

是川の教えにまつわるよくある誤解

最も多い誤解は、「二合目三合目で買う=安い株を底値で当てる技術」だと思い込むことである。

これは違う。底を当てる、という発想がそもそも是川の思想とは異なる。彼は「ここが底だ」と言い切ったのではない。「まだ人気が出ていない、業績に比べて安い水準」で買い、あとは結果を相場に委ねて待っただけだ。底を予言する天才ではなく、妥当な水準で仕込んで待てる忍耐の人。そこを取り違えると、教えは「一発当てる魔法」に変質してしまう。

もう一つ。「じっと待つ=何があっても塩漬けにして放置する」という誤解もある。これも危うい。五カ条の四番目を思い出してほしい。「株価は最終的に業績で決まる」。つまり、待つ前提には「業績がしっかりしている」という条件がある。業績が崩れた銘柄を信仰のように持ち続けることは、待つことでも忍耐でもない。ただの思考停止だ。

待つことと、放置すること。似ているようで、まったく違う。前者には絶えず事実を確かめる目があり、後者には何もない。是川の「待つ」は、能動的な待ちだったのである。

今日からできる一つのこと

買いボタンに指が伸びたとき、こう自問してみてほしい。

「この銘柄は、今、山の何合目だろうか」

これだけでいい。SNSで盛り上がり、連日上げ続け、誰もが「まだ間に合う」と言っている——それは、おそらく八合目より上だ。逆に、誰も話題にせず、地味で、退屈で、「なぜこんな安いのか」と首をかしげるような水準——そこが二合目三合目かもしれない。

正解を出す必要はない。ただ、この問いを挟むだけで、群衆の興奮と自分のあいだに、ほんの一瞬の隙間が生まれる。是川が一生をかけて守り抜いたのは、その隙間だったのではないか。亀の歩みは、その隙間から始まる。

焦って山頂に駆け上がる前に。今日は一度、立ち止まって、自分が今どこにいるのかを確かめてみる。それだけで、明日のあなたの相場との向き合い方は、静かに変わっているはずだ。


投資はご自身の判断と責任で行ってください。本記事は特定の銘柄や投資手法を推奨するものではなく、必要に応じてファイナンシャルプランナー等の専門家にご相談ください。